2017年8月14日月曜日

ひとりぼっち。

 ゆっくり深呼吸してくださいねー  ほら、もっと、吸ってー  だんだん眠たくなってくるからー  ほら、もっと、しっかり、吸ってー 
  て言われても、吐かないと吸えませんがね。狭い手術台の上で手足を固定されて、麻酔のマスクを装着されながらそう思っていたら、次の瞬間には手術が終わっていた。 
  終わりましたよー 
  天の声かと思っちった。朦朧とした頭はイマイチ整理もつかないまま、カラダは寝台に移されてゴロゴロと病室に運ばれたんだろう。目が覚めたら病室の天井が見えて、その視界のすみっこに母の顔があった。 
  あんたのね、嚢腫っていうの?、見せてもらったの。白くてツブツブしててね、あ、液体が入ってなかったから思ったよりちっちゃかったけどね、でもね、ほら、悪性だと、赤黒かったりして、あ、血管ができてるからね、いかにもワルモノって感じでしょ。あんたのはね、白くてね、なんか、イイコたちって感じだったのよ。 
  母は喜んでいた。いろいろ、悪くなかったらしい。よかった。私の年ごろにもなれば、卵巣嚢腫ってけっこうアルアルだし、そもそも何年も前から経過を知っていたので、それ自体はほとんど気にしてなかったけど、まさかの「悪性かもしれません」には、やっぱりちょっとドキドキしていた。「かもしれません」にどれほどの確率が含まれているか知らないけど、けっこう怖かった。「コトによっては、手術途中で方針を変えるかも。悪ければ、卵巣取り除くかも。ま、でももうひとつあるから」って一生懸命に言われて、いろいろ通り越して笑ってしまったくらい。だから、身構えていた分、不思議なことに、悪性じゃないとわかると、それはそれで少しガッカリな気もする。何がどうガッカリって、ホントに癌を患っている人からしたら、ケンカ売りたい感じだよね。でも、そう思った。そう思えるのも、そうじゃなかったからだし、よかった。ホント、よかった。 
  術後すぐに連絡をくれたのはなぜか印刷会社時代の元上司。もしかしたら広島に出張か何かで来ているってことだったのかも。「絶賛手術後です」と返事をして、いくつかやりとりをして、それで終わった。あと、学校の同級生とか先生たちからもいくつか連絡をもらって、それらには全部同じように「元気よー」のヒトコトと、トボけたスタンプを返したのだった。元気だけど、お腹の手術痕は痛い。「痛くない」っていろんな人につい強がってしまったけど、やっぱり痛い。笑うと痛い。咳払いすると痛い。咳すると痛い。くしゃみなんかサイアク。庇いながら寝たから、今度は腰が痛くなった。ホント、サイアク。「何か変わったことはないですか?」と、生存確認に来た看護師さんに聞かれたので「腰が痛いです」と答えたけど、それはマニュアルにないらしくスルーで、「じゃ、また何か変わったことや痛いところがあれば遠慮なくナースコールを押してください」と笑顔で帰って行った。私の「痛い」はひとりぼっち。仕方ないので、お腹と腰の機嫌を伺いながらモゾモゾと痛くない体勢を探す。見つけたら、もう二度とその体勢は変えたくないし、せっかく持ってきていた本や雑誌は手を伸ばしても届かないし、すっかりやることがなくなってしまった。こんなときの強い味方はケータイ動画で、『ツインピークス ザ・リターンズ』を一気に見て、かなり気分の悪い映像に、むしろ爽快な気分になった。 
  隣のベッドは家族を引き連れて早々に空いた。二人部屋だったので、今は部屋に私ひとりきり。仕切りのカーテンは仕舞い込んで、ブラインドから光が差し込むように角度を調節した。手術痕の痛みとタイミングを合わせて、ふぅ、うんしょ、と自分のベッドにもたれかかる。ブラインドの隙間から、こちらとは無関係に日常っぽい風景がのぞいている。